■City, Town
Villa O'Higgins/ヴィジャ オヒギンス
■Date
2015/03
■Note
ついにアウストラル街道の終着地に。殺風景ぶりは更に増し、周囲の山々を見てるとあー端っこに来たなーと感慨ひとしおに。いやーしかしオヒギンス村にたどり着くまでは大変だった。というか行くまでに色んな要素があったので今回はそちら主体の記事に。ちなみにここで街道は終わるけど此処から先はフェリーと徒歩で国境を渡ってアルゼンチンに向かっていくという最後の大山が残っている。オヒギンス村ではその先のフェリーの影響で次の便までの2日だけの滞在。ここもトレッキングが素晴らしいらしいけど足が癒えていないし無理。というか3月も半ばにさしかかりパタゴニアのシーズンがどんどん危なくなってきてるので否応なく最短の滞在に。この足でチリ~アルゼンチン国境を越えねばならんのかと思うとちょっと憂鬱。
■How to get there
アウストラル街道を通らない人には事情がなんやらわかり辛いと思うのでアウストラル街道の終点オヒギンスまでの道のりをざっくり説明を。
【道のり】
コクラネ→(トルテル)→☆プエルト ユンガイ→〈フェリー〉→★リオ ブラボ→オヒギンス
1,オヒギンスまでの道のりとして上記を経由して行く必要があって、☆と★は港になっていてこの間はフェリーを使う必要がある。
2,トルテルはオヒギンスに向かうまでの道のりからアウストラル街道から逸れた場所にあるのでここに来たら道が逸れるところまで戻らないといけない。
3,☆も★も基本的に港の発着だけの存在なので街ではない。なのでオヒギンスに行くのであれば☆でしか車は捕まらない。★とオヒギンスを往復するという車は存在しない。
4,フェリーは1日2~3便あってこの時間にあわせて車がやってくる。(時期によってスケジュールは可変)
5,街として機能してないので時間にあわないと港に行く車を捕まえられない。つまりヒッチポイントによって行くまでの時間を逆算して捕まりやすい時間が決まってる。
6,ちなみにコクラネから週に2便オヒギンス行きの直通バスがある。
という感じで。オヒギンスまでは紆余曲折があったので以下ちと長いです。
自分はトルテルにいたのでそこからヒッチハイクをしようと思っていたのだけど久しぶりの「宿」泊だったので爆睡。大いに寝坊をして上述のヒッチ時間に間に合わなくなってしまう。(フェリーの時間的に最終便なら可能だったのだろうけど宿のオバチャンがそれは厳しいというので諦めを。)で6にあるようにコクラネから直通バスが出ているの知っていて且つそのスケジュール(木・日)でちょうど明日が日曜だったので一度コクラネに戻り次の日確実なバスで行くことに。
到着して早速チケットを購入をと思ったところ、シーズンの節目だったか数日前にコクラネ発のバススケジュールが変更(水・土)になっていたよう。。なので次の日コクラネからヒッチハイクをすることに。この変更にハメられたアメリカ人女2人組ブルックとダイナ、ドイツ人のメン、ダニエルとコクラネのキャンプ地で会ってヤラれたねーなんて話をしながらお互いヒッチで頑張ろうぜって仲良くなる。アメリカチームは自分と同じくコクラネから直接、ドイツ人はトルテルまで朝バスに乗ってその後ヒッチで目指すという話。
次の日アメリカチームは朝8時くらいから、自分は小雨でやる気が落ちていたので9時過ぎからヒッチ開始。ヒッチポイントに行ったらアメリカチームはもうおらず。うまく乗れていたみたいだった。そこで2~3時間待った頃にイスラエル人4人グループのボロボロの車に遭遇。既に乗用車に4人で荷物もパンパンなのにスシ詰めで乗せてくれたマジでイイ奴ら。しかし彼らはトルテルまでということだったので途中の分岐点まで乗せてもらうことに。
午後2時頃、途中車の故障などもあったけど無事に分岐点に到着。ここでアメリカチームと再会。もう1~2時間ここで待ってるけど車が来ないのよっていう話。雨足はどんどん強まり寒くなる。この分岐点いろんな人が来たんだろうけど空のガス缶がたくさん捨て置かれていた。途中でトルテルからチリ人もやってきて計4人で分岐点に。もちろん我々タフなパッカーなのでそれぞれガスもテントも食料あるので最悪は泊まれるし、まー気長にいこうなんてノリで。船の最終便的に今日のリミットはあと少しだねって時にトラックが通りかかって乗せてってくれることに。この人数一気にいけるなんてまじで神やと。アメリカチームは女の子なので助手席に。我々メンズは屋根がついてるボックスタイプの荷台に。途中で進んでいるとさらに偶然ドイツ人ダニエル君に遭遇。彼は車が捕まらないので分岐点から30キロ離れているユンガイまで徒歩で攻めていたらしく(タフすぎる)ここでトラックが救助。全員で再会を果たし一同でオヒギンスに向かうことに。
しかし苦難は残っていたよう。突然車体が揺れて荷台の中で転がる我々。なんとトラックがスリップして泥濘の土砂に突っ込んでしまい立ち往生。雨の中全員で色々救済処置を試みるも全く脱出できず。挙句土砂の下は水が流れていて徐々に沈下する地面。。アカンぞこのままでは川に落ちてしまうんでわ、と。と思っていたら一台の車が通りかかり我々を乗せられるだけ乗せてユンガイと事故現場まで往復してくれるという神が現れる。
18時手前。無事ユンガイに到着。最終便にも間に合ったか、と思われたが、どうやらオヒギンスに向かう車で自分達を乗せられる余裕のある車は一台もないという。フェリーを管理している軍人の説明でここで初めてリオブラボはただの発着場で車もないのに行く意味がないことを知る。野宿かー。。と思った矢先、軍の宿営施設を使っていいよと。ベッドもホットシャワーもあるし無料だよっていう話。一同大感動しその日は施設でゆっくり。コーヒー、パンもご馳走に。ありがとうございました。ちなみに日本人であることを知ると軍人も日本人の友達いるよって。その子は自分も知ってる子だった。たぶんこうやって行き止まりになった人たちを定期的に助けてあげてるんだろう。イイ奴らや。ちなみに施設にプレステ2があってウイイレが置いてあった。他チリ人と軍人達がキャッキャ言いながらゲームで遊んでた。軍人さんがスゲーうまかった。フェリーも1日3便だしこの仕事マジで暇なんやろうな。。
次の日、トラックチームは雨もあがったからこれから戻ってまた確認してみるといって去っていった。我々も朝10時の便に乗るべく出発。朝は車が多いよっていう話だったが。。。1台だけ。しかも人一杯で乗せてくれない。。。雲行きが一気に怪しくなる。次の便、12時発。車は数台やってくるもなんと今回も全員乗せてくれない奇跡。今回は各車余裕があるのにレンタカーで保険が・・とかドイツ人中年夫婦に至っては理由がわからんけど無理って。。ダニエル曰く典型的な古いドイツ人タイプだ。すまんね。って誤ってた。たぶん夫婦にとって異邦人とかアジア人の俺を乗せるのが気に障るんだろうファックな奴らだ。でもそれでダニエルまで乗れないのはアレだから一人でも乗れるチャンスあるんなら交渉しなよって話で結局ダニエルだけは乗れることになった。
そして残った我々。。次の便は18時。。。食料もないので高くて小さいエンパナーダを港の売店で食べつつ。突然時間でもないのにトラクターショベルを載せたトラックがやってくる。試しに乗せてくれないか頼んだら「おー5人でも6人でも全然いいぜ」っていう話。どうやら工事のための臨時便だったらしく次の便を待つことなく14時頃に乗れることに。男のプライドとして女性2人組はまた助手席に我々メンズは荷台に。今回は完全なオープンエアタイプ。
進むこと1時間くらい、ジュラシックパークに出てくるような森林を抜けいよいよさらに凄い景観に。テンションあがりきったところで雨が降りだす。寒い。耐えていると途中で工事現場に辿り着いたらしく。そこで1時間ほど作業を開始。雨風に吹きさらされる我々メンズチーム。。。代わろうかってアメリカチームは言ってくれるけどそこは男のプライド。大丈夫や。と。しかし長時間すぎて雨具でも湿ってくる。いい加減キツイので最終的にテントを体に巻いて雨をしのいでおりました。でよーやくの19時くらいにてオヒギンスについに到着。。ああ長かった。。テント泊したかったけど雨で風邪ひきそうだったのでメンズチームは宿に。ガールズ達はテント泊に。ということでアウストラル街道最終章はホントに事件でいっぱいだった。
■Sights
Villa O'Higgins/ヴィジャ オヒギンス
■Date
2015/03
■Note
ついにアウストラル街道の終着地に。殺風景ぶりは更に増し、周囲の山々を見てるとあー端っこに来たなーと感慨ひとしおに。いやーしかしオヒギンス村にたどり着くまでは大変だった。というか行くまでに色んな要素があったので今回はそちら主体の記事に。ちなみにここで街道は終わるけど此処から先はフェリーと徒歩で国境を渡ってアルゼンチンに向かっていくという最後の大山が残っている。オヒギンス村ではその先のフェリーの影響で次の便までの2日だけの滞在。ここもトレッキングが素晴らしいらしいけど足が癒えていないし無理。というか3月も半ばにさしかかりパタゴニアのシーズンがどんどん危なくなってきてるので否応なく最短の滞在に。この足でチリ~アルゼンチン国境を越えねばならんのかと思うとちょっと憂鬱。
■How to get there
アウストラル街道を通らない人には事情がなんやらわかり辛いと思うのでアウストラル街道の終点オヒギンスまでの道のりをざっくり説明を。
【道のり】
コクラネ→(トルテル)→☆プエルト ユンガイ→〈フェリー〉→★リオ ブラボ→オヒギンス
1,オヒギンスまでの道のりとして上記を経由して行く必要があって、☆と★は港になっていてこの間はフェリーを使う必要がある。
2,トルテルはオヒギンスに向かうまでの道のりからアウストラル街道から逸れた場所にあるのでここに来たら道が逸れるところまで戻らないといけない。
3,☆も★も基本的に港の発着だけの存在なので街ではない。なのでオヒギンスに行くのであれば☆でしか車は捕まらない。★とオヒギンスを往復するという車は存在しない。
4,フェリーは1日2~3便あってこの時間にあわせて車がやってくる。(時期によってスケジュールは可変)
5,街として機能してないので時間にあわないと港に行く車を捕まえられない。つまりヒッチポイントによって行くまでの時間を逆算して捕まりやすい時間が決まってる。
6,ちなみにコクラネから週に2便オヒギンス行きの直通バスがある。
という感じで。オヒギンスまでは紆余曲折があったので以下ちと長いです。
自分はトルテルにいたのでそこからヒッチハイクをしようと思っていたのだけど久しぶりの「宿」泊だったので爆睡。大いに寝坊をして上述のヒッチ時間に間に合わなくなってしまう。(フェリーの時間的に最終便なら可能だったのだろうけど宿のオバチャンがそれは厳しいというので諦めを。)で6にあるようにコクラネから直通バスが出ているの知っていて且つそのスケジュール(木・日)でちょうど明日が日曜だったので一度コクラネに戻り次の日確実なバスで行くことに。
到着して早速チケットを購入をと思ったところ、シーズンの節目だったか数日前にコクラネ発のバススケジュールが変更(水・土)になっていたよう。。なので次の日コクラネからヒッチハイクをすることに。この変更にハメられたアメリカ人女2人組ブルックとダイナ、ドイツ人のメン、ダニエルとコクラネのキャンプ地で会ってヤラれたねーなんて話をしながらお互いヒッチで頑張ろうぜって仲良くなる。アメリカチームは自分と同じくコクラネから直接、ドイツ人はトルテルまで朝バスに乗ってその後ヒッチで目指すという話。
次の日アメリカチームは朝8時くらいから、自分は小雨でやる気が落ちていたので9時過ぎからヒッチ開始。ヒッチポイントに行ったらアメリカチームはもうおらず。うまく乗れていたみたいだった。そこで2~3時間待った頃にイスラエル人4人グループのボロボロの車に遭遇。既に乗用車に4人で荷物もパンパンなのにスシ詰めで乗せてくれたマジでイイ奴ら。しかし彼らはトルテルまでということだったので途中の分岐点まで乗せてもらうことに。
午後2時頃、途中車の故障などもあったけど無事に分岐点に到着。ここでアメリカチームと再会。もう1~2時間ここで待ってるけど車が来ないのよっていう話。雨足はどんどん強まり寒くなる。この分岐点いろんな人が来たんだろうけど空のガス缶がたくさん捨て置かれていた。途中でトルテルからチリ人もやってきて計4人で分岐点に。もちろん我々タフなパッカーなのでそれぞれガスもテントも食料あるので最悪は泊まれるし、まー気長にいこうなんてノリで。船の最終便的に今日のリミットはあと少しだねって時にトラックが通りかかって乗せてってくれることに。この人数一気にいけるなんてまじで神やと。アメリカチームは女の子なので助手席に。我々メンズは屋根がついてるボックスタイプの荷台に。途中で進んでいるとさらに偶然ドイツ人ダニエル君に遭遇。彼は車が捕まらないので分岐点から30キロ離れているユンガイまで徒歩で攻めていたらしく(タフすぎる)ここでトラックが救助。全員で再会を果たし一同でオヒギンスに向かうことに。
しかし苦難は残っていたよう。突然車体が揺れて荷台の中で転がる我々。なんとトラックがスリップして泥濘の土砂に突っ込んでしまい立ち往生。雨の中全員で色々救済処置を試みるも全く脱出できず。挙句土砂の下は水が流れていて徐々に沈下する地面。。アカンぞこのままでは川に落ちてしまうんでわ、と。と思っていたら一台の車が通りかかり我々を乗せられるだけ乗せてユンガイと事故現場まで往復してくれるという神が現れる。
18時手前。無事ユンガイに到着。最終便にも間に合ったか、と思われたが、どうやらオヒギンスに向かう車で自分達を乗せられる余裕のある車は一台もないという。フェリーを管理している軍人の説明でここで初めてリオブラボはただの発着場で車もないのに行く意味がないことを知る。野宿かー。。と思った矢先、軍の宿営施設を使っていいよと。ベッドもホットシャワーもあるし無料だよっていう話。一同大感動しその日は施設でゆっくり。コーヒー、パンもご馳走に。ありがとうございました。ちなみに日本人であることを知ると軍人も日本人の友達いるよって。その子は自分も知ってる子だった。たぶんこうやって行き止まりになった人たちを定期的に助けてあげてるんだろう。イイ奴らや。ちなみに施設にプレステ2があってウイイレが置いてあった。他チリ人と軍人達がキャッキャ言いながらゲームで遊んでた。軍人さんがスゲーうまかった。フェリーも1日3便だしこの仕事マジで暇なんやろうな。。
次の日、トラックチームは雨もあがったからこれから戻ってまた確認してみるといって去っていった。我々も朝10時の便に乗るべく出発。朝は車が多いよっていう話だったが。。。1台だけ。しかも人一杯で乗せてくれない。。。雲行きが一気に怪しくなる。次の便、12時発。車は数台やってくるもなんと今回も全員乗せてくれない奇跡。今回は各車余裕があるのにレンタカーで保険が・・とかドイツ人中年夫婦に至っては理由がわからんけど無理って。。ダニエル曰く典型的な古いドイツ人タイプだ。すまんね。って誤ってた。たぶん夫婦にとって異邦人とかアジア人の俺を乗せるのが気に障るんだろうファックな奴らだ。でもそれでダニエルまで乗れないのはアレだから一人でも乗れるチャンスあるんなら交渉しなよって話で結局ダニエルだけは乗れることになった。
そして残った我々。。次の便は18時。。。食料もないので高くて小さいエンパナーダを港の売店で食べつつ。突然時間でもないのにトラクターショベルを載せたトラックがやってくる。試しに乗せてくれないか頼んだら「おー5人でも6人でも全然いいぜ」っていう話。どうやら工事のための臨時便だったらしく次の便を待つことなく14時頃に乗れることに。男のプライドとして女性2人組はまた助手席に我々メンズは荷台に。今回は完全なオープンエアタイプ。
進むこと1時間くらい、ジュラシックパークに出てくるような森林を抜けいよいよさらに凄い景観に。テンションあがりきったところで雨が降りだす。寒い。耐えていると途中で工事現場に辿り着いたらしく。そこで1時間ほど作業を開始。雨風に吹きさらされる我々メンズチーム。。。代わろうかってアメリカチームは言ってくれるけどそこは男のプライド。大丈夫や。と。しかし長時間すぎて雨具でも湿ってくる。いい加減キツイので最終的にテントを体に巻いて雨をしのいでおりました。でよーやくの19時くらいにてオヒギンスについに到着。。ああ長かった。。テント泊したかったけど雨で風邪ひきそうだったのでメンズチームは宿に。ガールズ達はテント泊に。ということでアウストラル街道最終章はホントに事件でいっぱいだった。
■Sights
Cochrane out side street/コクラネの街道沿い
南方面はここからアウストラル街道にぶつかるのでここでヒッチをしとりました。
南方面はここからアウストラル街道にぶつかるのでここでヒッチをしとりました。
Fixing a car/車の修理
イスラエル人グループのボロ中古車の排気筒が途中で外れて地面に引きずりっぱなしになっていたので修理をする。
イスラエル人グループのボロ中古車の排気筒が途中で外れて地面に引きずりっぱなしになっていたので修理をする。
Tortel & Puerto Yungay Cross/トルテル・プエルトユンガイ分岐点
全然車来ず。雨がシトシト降り続く。
American Girls/ヒッチ仲間と再会
分岐点でヒッチ仲間の左:ブルック、右:ダイナと再会。2時間以上ここで待ってるけど車が来ないって。
Car Accident/トラックの事故現場
Tired Guys/疲れるチリ人パッカーフェリペ
Playing Game in Army's Office?/軍の宿営施設
ウイイレに燃えるフェリペと事故ったトラックの助手
Ferry for Rio Bravo/リオブラボ行きの船
一番多いという朝一で車なしに失望する我々。。この後ギリギリで一台だけ来たけど。
Yoga in a Port/港でヨガ
やることないのでヨガをする面々。変顔をするダイナ。
Finally we got a way to O'Higgins/ようやく捕まったオヒギンス行き
このトラックの荷台で凍えながらオヒギンスへ入りました。雨で酷い目に遭った。
Board in O'Higgins/オヒギンスの交通板
思えばコジャイケから551キロのヒッチ移動。ほんとのアウストラル制覇は倍の距離だけど。色々あったけど楽しかったな。
Hostel in O'Higgins/オヒギンスの宿
O'Higgins's Radio Studio/オヒギンスのラジオスタジオ
なんか可愛らしい感じ。
■Drinking
Austral Beer/アウストラルビール
街道を行ききったのでここで初めてアウストラルビールを購入。美味し!
■Accommodation/安宿
American Girls/ヒッチ仲間と再会
分岐点でヒッチ仲間の左:ブルック、右:ダイナと再会。2時間以上ここで待ってるけど車が来ないって。
Car Accident/トラックの事故現場
Tired Guys/疲れるチリ人パッカーフェリペ
Playing Game in Army's Office?/軍の宿営施設
ウイイレに燃えるフェリペと事故ったトラックの助手
Ferry for Rio Bravo/リオブラボ行きの船
一番多いという朝一で車なしに失望する我々。。この後ギリギリで一台だけ来たけど。
Yoga in a Port/港でヨガ
やることないのでヨガをする面々。変顔をするダイナ。
Finally we got a way to O'Higgins/ようやく捕まったオヒギンス行き
このトラックの荷台で凍えながらオヒギンスへ入りました。雨で酷い目に遭った。
Board in O'Higgins/オヒギンスの交通板
思えばコジャイケから551キロのヒッチ移動。ほんとのアウストラル制覇は倍の距離だけど。色々あったけど楽しかったな。
Hostel in O'Higgins/オヒギンスの宿
O'Higgins's Radio Studio/オヒギンスのラジオスタジオ
なんか可愛らしい感じ。
■Drinking
Austral Beer/アウストラルビール
街道を行ききったのでここで初めてアウストラルビールを購入。美味し!
■Accommodation/安宿
Hostal El Mosco
●My Rating
:☆☆☆
●Price
:8000ペソ(テント泊は4000ペソ)
●Room
:ドミトリ
●Bathroom
:Hot、共用
●Wi-Fi
:有り
●Location
:フェリーチケット売り場の道を挟んで斜め前
●設備、他サービス
:共用キッチン
■Next destination
To El Chaltén, Argentina
コメント
コメントを投稿